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完全無農薬JAS有機自然農法 魚沼産コシヒカリ生産者【山岸勝】

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十日町の「異端児」

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新潟県十日町市。日本が誇る最高級ブランド米「魚沼産コシヒカリ」の生産地であるこの町で、最高級のブランド米という称号に胡坐をかかず、いわゆる「篤農技術」といわれる、除草剤をはじめとした農薬や化学肥料を一切使わず、自然に沿った基本的な栽培技術で、有機栽培に挑戦するNPO法人「魚沼ゆうき」

 

その代表である山岸勝さんが、この十日町で篤農技術を使った有機栽培に挑戦し始めたのが、平成14年。当時は慣行栽培(農薬・肥料を使用した現在の一般栽培)が主流であり、今さら40年前の農法に返って稲作栽培を始める山岸さんを、地元農家は「異端児」として、眉をひそめていたといいます。

 

山岸さんが有機栽培を始めた理由は、慣行栽培に対して警鐘を鳴らすためでもありました。

今から40年余り前、日本全国で当たり前のこととして行われていた「有機・自然農法」が、除草剤や農薬・肥料、そして機械化による生産量の飛躍的向上により、廃れていきました。

 

生産技術の向上は生産量の飛躍的な向上にはつながりましたが、そのことで皮肉にもコメ余り→生産調整→減反の構図が定着し、挙句はお米の価値が凋落し続け、農環境を破壊しながら、化学肥料の害により、国民総病人といわれるような現実が目の前に起きています。

また、お米の価値の低下は、就農人口を下げ、早晩農現場のみならず、日本全国の「村社会」そのものが限界となり、地域そのものが消滅しかねない現実を抱えています。

 

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そんな中、「お米そのものの価値を復元し、結果として希農願望を次世代の子供たちへと引き継いでいく。」という思いの下、山岸さんは立ち上がりました。

 

真の有機肥料を求めて

一念発起で始めた有機栽培でしたが、立ち上げ当初は右も左もわからず、四苦八苦の毎日でした。ようやく軌道に乗り始めた3年目の平成17年12月。一本の電話が山岸さんの有機栽培への概念を変えます。

山岸さんのお米を食べたお客様から、湿疹が出た。とのクレームがあったのです。

最初にその話を聞いた山岸さんは自分の耳を疑いました。「有機栽培で育てたお米を食べて湿疹が出るはずがない。」最初はそう思った山岸さんでしたが、考えてみると思い当たることが一つありました。それは肥料のことです。

山岸さんのお米に使われているのはもちろん有機の肥料でしたが、その肥料を肥料会社から購入していました。

以前肥料会社を見学した際に、山岸さんはそこで驚きの光景を目にします。有機肥料の材料となっていたのは、食物の残渣はもちろんのこと、毛髪や血液など、確かに有機肥料の原料といえば間違いはないのですが、山岸さんの目指す有機栽培とは激しく乖離した現実でした。

お客様からの電話をきっかけに、山岸さんは肥料会社からの肥料の購入を一切やめ、独自の肥料を開発するため、十日町市内を駆け回り、試行錯誤の上、ついに究極の有機肥料とも言える原料に巡り合います。

 

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十日町は昔から「へぎそば」といわれる、ふのりをつなぎに使用したそばが有名で、中でも「小嶋屋」は、昭和天皇が来店されたこともある超有名店です。

その「小嶋屋」で、つゆの素となるダシを取った後の残渣を分けてもらうことができたのです。

残渣といっても、昆布、煮干し、鰹節など、そのまま醤油をかければ食べられるようなものばかり。しかもどれも一級品を使っているので滋味豊かな味わいです。

その残渣を独自の技術で発酵させ、肥料にする機械も購入。こうして出来上がった究極の有機肥料を使うことで、本当の意味での有機栽培がスタートしました。

  

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山岸さんの有機栽培農法は、稲本来が持つ野生の強さを最大限まで引き出し、病気や雑草にも負けない稲を作ることと稲が自然に育つ環境を作る事を心がけています。

山岸さんの田んぼでは、秋の収穫後が稲作にとって最も重要な作業、土づくりの時期です。

収穫されたお米の量と同僚の稲株・もみ殻・米ぬか等が残りますが、「人はお米を頂いたら、その残った資材はきちんとお礼の意味も込めて田んぼに還元する」と考える山岸さんは、それらを究極の肥料とともに、コンバインで数回かき混ぜます。

この作業により、残渣は素晴らしい自然の肥やしとなり、次のシーズンには肥料を一切使用しなくても稲が立派に育つ環境になります。

「無農薬栽培といってもそんなに大変なことではないんですよ。田の草さえ無ければ…」と笑って語る山岸さんですが、雑草取りほど労力のいる作業はありません。延々と生えてくる雑草をただひたすら這いつくばって、人力で掻き回して取り続ける根気のいる作業です。

 

その労力から解放されるため、山岸さんは、「草を見ずして草取りをする」という方法で、雑草が生えてくる前に田んぼを掻き回すことで、光合成が出来にくくし、結果として雑草の発生を抑えるという事に終始しています。

その過程で、苗はチェーンで引き倒されるものもしばしば。でもそのスパルタ式の生育方法が、病気も害虫も寄せ付けない、元気な稲を育てるそうです。

 

ただ、「雑草が悪」とは山岸さんは考えておらず、「人間にも厄介な雑草もすべてそれぞれに役目があり、どんなところでの土でも、土壌を肥沃にするため、土自身が選んで草を生やすという仮説を立てています。そのため、ことさらに雑草を敵視し、皆無を良しとするのではなく、稲に支障が出ない程度ならむしろ共存するというスタンスの方が自然」と考えています。

昔、農薬・肥料など便利な資材が何もなかったころの稲作りにとって、「苗8分作」といわれるほど、第一に大切な要素は苗でした。

 

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山岸さんの田んぼでは元気な苗を育てる努力も惜しみません。種もみは自分の田んぼの稲からとれた「自家たね」を使用し、その種もみを冬の間、雪深い田んぼの中で保管し、発芽からある程度まで芽が伸びるまでは、肥料も水分も与えないというスパルタ育苗により、前述のチェーン除草による「引き倒し」などの数々のダメージを克服して、元気に自分の力で生育していく苗を育てています。

こうして、秋の土づくりから始まり、強い苗、深水の田んぼ、チェーン除草により育った稲は、台風にあおられても倒伏せず、病気も一切寄せ付けず、黄金色に輝く立派な実を無数につけながら、いよいよ収穫の時を迎えます。

minami_uonuma300稲刈り後には、昔ながらの「ハザ架け(天日干し)」で天然乾燥。ハザ架けをしたお米は、稲わらがついたまま10日間ほど天日にさらされるそのわずかな期間にも、稲はそのすべてを穂に向かって注ぎ込むのです。

こうして自然のままの農法で育てられた究極の魚沼産コシヒカリは、玄米ながらもキラキラと輝き、精米をすることで、透き通るほどの白さを持ったお米が目の前に登場した姿は、もはや感無量です。

終わりに

「私は何も難しいことはやっていない。一昔前、稲作農家が「お百姓」と言われていた頃、美味しいお米を作るためには、それこそ「百の事」をやらなくてはいけなかった。そのお米作りの中で人は自然と共存し、時には格闘し、お天道様の恵みでお米を頂くことが出来たんです。周りからは変人扱いされますが、私はいつまでも昔ながらの「百姓」でありたいと思っていますよ。」

そう笑顔で語る山岸さんの努力と愛情が、お米の一粒一粒に詰まっています。

 

 

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