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アスパラ作りは収穫後に始まる【涌井博】

新潟県の南端に位置する津南町。
日本最大級の規模を誇る河岸段丘の上にあり、その上層部、津南高原では古くから野菜の栽培が盛んです。
標高による強い日差しと昼夜の寒暖差、日本名水百選の一つ「竜ヶ窪」の水などを利用して栽培された野菜の品質は高く、今ではブランド品として常に高値で取引されています。


そんな津南高原の春を代表する野菜が「アスパラガス」です。

 

津南町は日本でも有数の豪雪地帯。3mを超える積雪の中で、じっくりと春を待つアスパラガスの新芽は、雪解けとともに一斉に土を持ち上げ顔を出します。雪解け水をたっぷり含んだ土壌で育ったアスパラガスは、見た目の茎の太さからは想像できないほど柔らかく、かつ際立つ甘さに驚きます。切り口からはしぶきが飛び散るほどみずみずしく、まるでジューシーなトウモロコシを食べているかのよう。濃厚なアスパラガスのジュースが口の中いっぱいにあふれ出します。

そんな津南高原のアスパラガスを、とりわけ熱心に生産されているのが涌井博さんです。

津南高原アスパラガス栽培のパイオニア

「アスパラ栽培を始めて40年になります。当時はまだ長野県の中野や飯山での栽培が盛んで、津南高原でもアスパラをやっている人は全然いませんでした。周りにやっている人がいなかったので、栽培方法も手探り状態。出荷量が安定するまでは試行錯誤の連続でした。津南農協でもアスパラ用の選別機は販売しておらず、初めて選別機を買ったときは、隣町の栄村農協(長野県)に頼んで取り寄せてもらいました。」

津南のアスパラガス栽培黎明期から携わっている涌井さん。パイオニアとしての苦労も多かったようです。そこから40年。津南高原のアスパラガスは、その品質の高さから今やブランド野菜となっていますが、他の産地と比べて違いはどこにあるのでしょうか。

 

雪の下の恩恵

「一番違うのは約半年間、雪の下にあるからだと思います。アスパラによらず、フキノトウやわらび、ウドみたいな山菜でも、やっぱり雪の下から出てきたものは違います。甘みが強くて柔らかい。そして苦みが少ないんですよね。いくら堆肥を多く入れて、土の栄養を高めても、雪の下にあったものには敵わないですね。津南のアスパラは茎が太くても筋張っていないので筋取りは必要ないですし、柔らかくて甘みが強いです。

水もありますね。津南高原では、「龍ヶ窪」だけではなく、いたるところに湧水が湧いています。私の圃場の近くにも貯水用のダムがありますけど、ここも地下からの湧水です。
あとは完全露地栽培という点もあるかもしれません。他の産地に行くと露地物と言っても、ほとんどの産地で雨よけ用のビニールシートをかぶせてあって、半分ビニールハウスのような感じになっていて、完全露地栽培をおこなっている産地は少ないです。雨よけを付けると病気になりにくいので便利ですが、グリーンが強く出ないので津南高原ではやっていないですね。」

豪雪地帯:津南の人々を悩ませる雪ですが、魚沼産コシヒカリ同様、アスパラを始めとした農作物にも「恵みの雪」となっているようです。


毎日12km
の収穫作業

「うちの圃場は約100mの畝が60あるので、1回の収穫で6kmくらい歩きます。アスパラは成長が早く、あっという間に伸びて穂先が開くと商品にならず、1日に二回収穫をするので、収穫時期には毎日12kmを歩いている計算になりますね。しかもただ歩くだけではなく、アスパラの伸び具合を見ながら鎌で(アスパラを)刈り取っていくので、歳をとってきたこともあり、やっぱり堪えます。」

毎日12km!しかも腰に収穫用のかごを下げてですから、その負担は計り知れません。しかし涌井さんは「収穫作業はたいして大変ではない。」とおっしゃいます。

収穫後のケア

「アスパラ栽培というと、みなさん春先に種をまいて初夏に収穫するイメージを持たれているかと思いますが、アスパラは多年草で、根には細いイモのような貯蔵根がたくさんあり、そこに蓄えた栄養で一つの株から若芽がたくさん出てくるんです。例えて言うなら筍のようなものです。ですので、収穫をしない期間に、株をゆっくり養生させてやることがとても大切なんです。晩秋まで葉茎を健全に保ち、
たっぷりと光合成をおこなうことにより、貯蔵根に栄養を蓄え、美味しいアスパラが育つ素地となります。実は収穫よりも収穫が終わった後が一番大変なんです。立茎のために支柱を立てて紐で吊って、除草をして、堆肥や肥料を入れる。それから耕耘した後にまた除草作業と、収穫後の方がやることがいっぱいあって、こっちの方が収穫よりも大変です。」

あじたびスタッフもアスパラガスは春先に種を播いて初夏に収穫だと思い込んでいましたが、収穫後の作業の方が大変だとは知りませんでした。我々が知らないところに本当の苦労があるのですね。

 

雑草との戦い

「特に大変なのが除草作業です。堆肥を入れると、雑草にも肥料になるため、何もしないと雑草がどんどん生えてきます。堆肥を入れなければ雑草は生えてきませんが、アスパラにも栄養が足りず、収穫期に細いものしか出てきません。

私は収穫後に立茎して、堆肥を入れてから20回ほど除草作業をしています。こんなに除草作業をしているのは私くらいで、他の農家はそんな私の姿を見て笑う事もありますが『まあこれでいいや』で除草作業を減らすと、すぐに雑草が生えてきて土の栄養を吸われたり、アスパラが病気にかかって欠株になることもあります。草にまかれたり、アスパラが病気になることを考えたら、いくらしんどくても除草作業を減らすことはできません。とにかく雑草が小さいうち小さいうちにたたくよう心がけています。」

他の生産者の畑では雑草が覆い茂る中、涌井さんの畑はいつもきれい。地道な除草作業により、アスパラガスだけに養分がいくようになり、また収穫作業のしやすさにもつながっています。

 

 

強い農薬は畑をダメにする

「今は強い農薬が出てきて、それを使用している生産者もいますが、強い農薬を使うと畑がダメージを受けてダメになってしまうんです。
自分の畑だけで済めばまだマシですが、近隣の畑にも迷惑がかかるし、何よりも私の畑と言っても、先祖より代々受け継いだ畑ですからね。自分の代だけ無茶苦茶やって畑をダメにして、あとの人たちが何もできなくなってしまったら困るじゃないですか。だから強い農薬は絶対に使わず、その分除草作業の回数を増やしています。」

農協では通常アスパラガスの株は10年で植え替えないと、根が多くなり芽が出なくなるとの指導がありますが、まめに手入れをおこなっている涌井さんの株は15~20年経っていても元気なのだとか。

土を傷めず、まめな除草作業をおこなう涌井さんの気持ちがアスパラガスにも伝わっているのかもしれません。

 

天気とのにらめっこ

「アスパラは立茎作業を終えてから、アスパラの木が黄色くなるまで栄養分を吸わせないと、翌年に芽が出てきません。立茎から刈り取りまで100日近くあった方が良いといわれています。ところが津南高原ではちょうど100日前後のところで雪が降り始めます。

実は雪が一番怖いんです。雪が降るとアスパラの木が倒れてしまい、刈り取り作業が行えず、翌年の収穫作業に影響します。だからと言って、刈り取りを早くおこなってしまうと、翌春に芽の出が悪く、味にも影響してきます。雪が降るギリギリのタイミングまで、アスパラに養分を吸わせるのが大事なので、雪が降り始める時期になると、外の天気とにらめっこです。」

 

雪が降る前のギリギリのタイミングの見極め。そこには40年間アスパラガス栽培で培った涌井さんの経験が活きています。

 

アスパラ生産者の減少

涌井さんが最も危惧しているのがアスパラガス生産者の減少なのだとか。

「アスパラガス栽培はお話しした通り、人の手がかかる作業が多く、その上収穫時の身入りの少ない作物です。そのためアスパラを生産する農家が少なくなり、また高齢化による廃業者も多いため、津南高原だけでなく、全国的にアスパラガスの生産者が減ってきています。このままいくと国産のアスパラが無くなり、アスパラは輸入品に頼る日がそう遠くない気がします。」

品質よりも価格を優先する業務用需要により輸入品が台頭。
それに引きずられるように価格も下落し、手間のかかる国産のアスパラガスはまさに「労多くして益少なし」の作物で、他の作物以上に後継者不足に悩まされています。

 

 


おわりに

生産者減少が続くアスパラガス栽培ですが、津南高原には明るい話題もあります。
「津南町が補助を出して、新規就農者を募集するようになりました。その甲斐あってか、他県から移住してきて、新規でアスパラガス栽培を始める人が少しずつですが増えています。アスパラガス栽培は重労働なのですが、やっぱりやる気で来るから面白いんでしょうね。茨城から移住してきた若い夫婦は大変だなんて一言も言わずに、楽しくやってます。私みたいに「くどかない(愚痴を言わない)」ですし(笑)。しかも移住者同士で農作業のあと、色々と情報交換したりコミュニケーションを取っているみたいです。こういう若い人たちがアスパラを作ってくれて継続していければ、これほど嬉しいことはないです。そのために私にできることがあれば、少しでもお手伝いをしたいと思っています。」

そうおっしゃる涌井さん。ご自身が40年の経験の中で培ったアスパラガス栽培の技術を新規就農者へ継承しているようです。「後継者としての新規就農者」継続農業の新しい形に取り組みながら、地元津南町の農業の活性化に尽力しています。

 

涌井さんのアスパラ商品