次の世代へ。明治元年から受け継がれる麹菌【山崎京子】
新潟:津川の「糀おばちゃん」
新潟県蒲原郡阿賀町津川。阿賀野川のほとりにあるこの町は、新潟へつながる阿賀野川と、会津若松へつながる会津街道の中間地点に位置し、江戸時代より会津藩の水陸輸送を担う玄関口でした。
冬には雪が2~3mも積もる豪雪地帯のため、石畳の通りには、軒下を長く出した「とんぼ」と呼ばれる雪よけの屋根が設置してあります。そんな宿場町を歩いていると目に飛び込んでくるのが創業1868年の老舗「山崎糀屋」です。
築80年以上経つ店前には「糀・味噌」という大きな垂れ幕がかかり、年季の入った「山崎糀屋」の看板が。
店内に入ると、太い梁に大きなたらいと櫂がこれまた見たこともないような道具があちらこちらに飾られていて、趣のある雰囲気を醸し出しています。
そしてそのお店を取り仕切るのが、店主である「山崎京子さん」。
「糀おばちゃん」として、新潟県では知らない人がいないほどの有名人です。
実際にテレビや雑誌での報道は数多あり、その糀パワーには、マスコミだけではなく、医学界からも注目を浴びています。
本当に良い物を食べてもらいたいから
そもそも糀とは、蒸した米に種麹を繁殖させたもので、食品を発酵させる働きがあります。糀は種麹によって米のデンプンが糖化されているため、そのまま食べても自然な甘みがあります。実際に食べさせてもらいましたが、米のポン菓子を膨らます前のような食感で、ほのかな甘みが感じられて美味しかったです。
「本当に品質の良い物を食べてもらいたい」そう考える山崎さんは、安心・安全で質のいい糀作りのために、また米の本当の甘みを味わってほしいとの思いから、糀の原料となるお米は契約栽培の新潟県産「こしいぶき」の新米にこだわります。
そして、麹菌は明治元年の創業時から代々受け継がれる、香り高い黄麹菌を使っています。黄糀は、鹿児島の黒酢に使われる糀で、一般的な白糀に比べ、アミノ酸量が豊富なため、甘味やうま味が濃厚で、栄養価もとても高いそうです。
また、一般に販売されている糀製品は、流通をしやすくするため、熱殺菌により糀の発酵を止めた状態で製造を行っていますが、山崎さんの糀は一切熱処理を行わない生の糀のため、糀の発酵作用が体内にまで届くのだとか。
「『便利』という言葉の為に、本来素晴らしい効果のある糀が死んでしまっているのは悲しいこと」山崎さんはそう切なげに語ります。
山崎さんのこだわりは糀だけに限りません。
「本当に良い物をお客様にお届けしたいから」そのために、今も朝の4時半から薪を使って米を蒸し、豆を煮、糀や味噌を作っています。薪にこだわる理由は「薪の出す遠赤外線効果が無いと、旨味が出ないから」だそうです。
その薪を使って美味しく炊けた大豆に、山崎さん特製の糀を、通常の二倍も入れた生こうじ味噌を試しに頂きましたが、甘味があり、ホッとする味噌でした。
このお味噌、分子が細かいため、通常の充填機では味噌が引っ付いて使えないのだとか。その代り、体内への浸透も良いため、身体が元気になるそうです。
糀の文化を伝えていくこと
山崎さんは、糀の魅力を伝えていくことにも力を入れています。
「顔を合わせるからこそ、話せることを大切にしているんです。」と、来店されたお客様には、酒かすや砂糖を使わない糀だけで作った甘酒と、キュウリの浅漬け、イカの塩辛など、実際に糀や商品を食べてもらうだけではなく、糀の説明や調理法まで説明します。
また遠方で来られないお客様の為に、調理法を紹介した動画を自作で作り、配信までしています。
また、山崎さんは糀文化を伝えるため、全国各地で講演を行っています。
講演でまず最初に「私の肌を見てみて、触ってみてください。」と切り出します。
山崎さんの肌は、昭和20年生まれとは思えないほどツルツル!実際に触れさせてもらうと、すべすべとして滑らかで、またビックリします!
「これも糀のおかげなんです。」
聞けば山崎さん。普段から肌のお手入れは一切せず、昔から糀のたっぷり入った甘酒を朝晩1杯ずつ飲んでいるだけだとか。
「自分の肌を見てもらえるのが一番の広告なんです。講演での肌自慢は何よりも説得力があるので。」と笑顔で語る山崎さん。糀のパワー恐るべしです。
もともと食文化に興味のあった山崎さんは、世界の食文化を研究するため、欧米諸国はもちろんの事、ケニア・タンザニア・ペルーなど世界中を旅し、その土地の原住民の昔の食べ物を見てきました。
「世界各地の原住民のDNAは、その土地土地に根付いた食物を摂取することで、肉体も精神も作られています。日本では食の多様化が進み、キムチやヨーグルトなど様々な発酵食品が話題に上がっていますが、やはり日本人のDNAにあった発酵食品は日本の土地に古くから根付いたものだと思いますよ。」そう山崎さんはおっしゃいます。
終わりに
「今、物流の発達により、全国にあった糀屋が次々と廃業して、糀屋が数えるほどしかなくなっています。私の願いは日本の伝統的な食文化である糀文化を、次の世代もその次の世代も、つなげていきたいのです。そのためにもこれからも全国を走り回って、講演で作り方を教えて、その糀で皆さんが元気になってくれることです。自分だけが良くなるというスタンスでは糀文化は広がりません。皆さんに良くなってもらいたいから。」
そう笑顔で語る山崎さんは、糀パワーで今日も糀文化を広めるため、元気に活動しています。