本当の美味さは甘さだけではない。鬼もろこし【島田福一】
新潟県の南端に位置する津南町。日本最大級の規模を誇る河岸段丘の上にあり、その上層部では古くから高原野菜の栽培が盛んです。
標高430mを超える沖の原台地は、強い日差しと昼夜の寒暖差が特徴。日本名水百選の一つ「竜ヶ窪」の水や、有機質に富んだ土壌によって、特に質の高い高原野菜が収穫されます。今では築地市場でもブランド品として常に高値で取引されています。
そんな津南高原で「鬼もろこし」と呼ばれるブランドとうもろこしを栽培しているのが、島田福一さんです。
農家一筋19代
島田さんはなんと農家の19代目なのだとか!
「祖先は北信濃の戦国大名:村上義清の家臣とのことです。村上義清は武田信玄と戦い、二度の勝利を収めました。しかしながら、武田信玄の策略によって北信濃の地を追われて、上杉謙信を頼って信濃川沿いを落ち延び、津南の地にたどり着いたのが始まりと言われています。そのときに薬師如来と仏像三体を背負ってきたそうで、その中の薬師如来像が今も我が家の仏壇にあります。」
天空の農園
家督を受け継いだ島田さんは新しい試みとして養豚を始めました。島田さんのたゆまぬ研究努力によって、島田さんの豚舎は「クリーンポーク認定農場」に指定され、元気で健康な豚が肥育されています。
「養豚のほうはおかげさまで軌道に乗ったので、新しい事業を展開したいと考えていました。そんな中、豚飼い仲間の親父さんが篤農家で、とうもろこしを作っていたので、その方から教わってとうもろこし作りを始めました。
『どうせ作るなら日本一おいしいとうもろこしを作りたい!』と考えていたのですが、開始当初はなかなか思うようなとうもろこしができませんでした。
そこで、当時日本で一番おいしいと言われていた青森県の「嶽きみ」の栽培を視察しに行きました。
嶽きみを栽培している岩木山麓では昔から畜産が盛んで、牛や豚の堆肥を土に入れること地力を上げ、おいしいとうもろこしが出来上がる土壌づくりをおこなっているのをみて『これだ!』と思い、早速津南に戻り豚の堆肥を土に入れました。
津南高原の風土と私が育てた豚の堆肥の相性が抜群だったのでしょう。
その年に獲れたとうもろこしは、今までのものよりとびっきりおいしい出来でした。」
「どうしたらおいしいとうもろこしができるのか?」その一事が島田さんを青森まで足を運ばせ、とびきりおいしいとうもろこしを作るヒントになったのです。
強い甘みはいがらっぽさを生む
「とうもろこし栽培を始めて、いろいろな品種を作ってきました。<未来>とか<ゴールドラッシュ>とか<ハーベストコーン>とか。それこそ奥さんににいい加減やめてって言われるくらい試作を繰り返しました。でもなかなか思う味にたどり着かなくて…
ようやく巡り会えたのがこの鬼もろこしでした。
普通の豆(とうもろこし)は、甘ければ甘いだけですが、鬼もろこしはなんていうか、コクがあるんです。単純に甘さという点では、鬼もろこしよりも強いとうもろこしもあるのですが、強い甘さだけだと喉ににいがらっぽさが残るんですよね。
食べた後に水を飲みたくなるような。でも鬼もろこしはいがらっぽさが無くてコクがある。ようやく納得のできるとうもろこしにたどり着いたかと思います。」
とかくトウモロコシというと甘さを追求する農家が多い中、島田さんは味全体のバランスを考えた、本当に美味しいとうもろこしの品種を探し、土を作り、育て続けた結果、この鬼もろこしにたどり着いたそうです。
収量ではなく美味しいものを作りたい
鬼もろこしは味は良いのですが、栽培が大変なんです。とにかく茎が弱くて根が弱い。なので、大風が吹いたり、大雨が降ったりするとすぐ転んじゃう(倒伏してしまう)。味がいいから鬼もろこしの品種をみんな栽培したんだけど、嫌になって作らなくなっちゃいました。
ちょっとでも収量上げたり、雨風に強い品種にしようと思ったら、デントコーン(飼料用とうもろこし)に近づいちゃうんです。それと対照的なところに鬼もろこしがあるんです。収量も取れないし、とにかく作りづらい。収量を多くして、利益を出していこうという人たちは鬼もろこしの品種はやりません。
私は収量ではなく、おいしいトウモロコシを作りたいと思って、とうもろこし栽培を始め、試行錯誤の上、ようやくこの鬼もろこしに出会ったわけですから、育てにくかったり、収量も少ないからと言って、これ(鬼もろこし)をやめる訳にはいきません。
『やるからには日本一のとうもろこしを作ってやろう!』と思い、とうもろこし作りを始めた島田さん。美味しいとうもろこしを作るために妥協は一切ありません。
鬼もろこし
ところで「鬼もろこし」という名前の由来はどこから来たのでしょうか。
「この辺りはクマが良く出るんです。せっかく栽培したとうもろこしが、収穫直前にクマにいっぱい食べられてしまうことも良くあります。ひどいときは、ひと朝で三反歩(30アール)食べられて何もないなんてこともありました。
とうもろこしの被害があまりにもひどいので、何とかしたいと思い罠をしかけました。
(罠用の)くくり縄を葉っぱで覆って隠すんですが、その葉っぱをきれいに払って縄をむき出しにしたうえで、とうもろこしを食べる頭のいいクマがいるんです。次に電気の牧柵を仕掛けましたが、牧柵を上手に潜り抜けてとうもろこしを食べて、食べたガラを30cmの高さにきれいに積み上げて置いてあったなんてこともありました。
そんな中、私が育てたトウモロコシを商標登録することになり、「お前たち(クマ)よりも強い名前を付けてやる!」と思って、「鬼もろこし」という名前を付けました。
クマよりも強い鬼もろこし。ネーミングのおかげか、島田さんのとうもろこし畑ではクマの被害が減ったそうです。
これからの日本の農業のかたち
「私は土に足をつけない農業を目指しています。鬼もろこしは10反歩ほど栽培していますが、収穫時のもぎ取り作業以外は、ほとんどの作業がトラクターを使った機械作業です。そのため収穫までは基本的に一人で作業しています。
農業というと、とかくしんどいイメージがあり、10反歩の畑をすべて手作業でおこなったら、一人では到底できるものではありません。機械ができることはどんどん機械に任せて、なるべく人手がかからないような農業を目指しています。
今は収穫時だけは近所の方にお手伝いに来てもらっていますが、みなさん高齢ですから、いずれは海外から人を派遣してもらうことになると思います。
さらに未来はアシモ(ロボット)ですよ(笑)アシモを3台も購入してとうもろこしを収穫してもらえば、収穫のタイミングでグラム数や糖度もわかるし…
でもそうやっていかないとこれからの日本の農業は成り立たないと思います。なるべく長く続けられる農業を目指すためには、機械に任せられるところは機械に任せて、その分の時間を使って、より品質の高いものを作っていく。
それがこれからの日本の農業のかたちだと思っています。
これは私がとうもろこしの他に養豚業も営んでいるから出てくる発想かもしれませんね。」
継続性のある農業にするために常に島田さんは考えています。
終わりに
「私は親から家や畑など色々なものをもらいましたが、私にくれたのではなく、次の代に回すために受け継いだのだと思っています。自分の代だけ良ければいいという考え方では農家なんて続かないですし。今を生きればいいという話ではなくて、未来を考えたうえで今を生きていかないといけないと思います。そうでないと跡を引き継ぐ人間がいなくなります。農業ってそういうもんだと思っています。
今、津南では後継者不足に悩んでいますが、私は息子や孫に『跡取りなんだから、ここ(津南)に残んなきゃだめだ。この家を継がなきゃ』と今から言っています。
そのためには、この家を継いで暮らしていかれるような家業を残さなきゃいけないと考えています。それが私の責任と思っているので。だから養豚やとうもろこしをやったり、次の展開としてにんにくを栽培したりしています。実は新しい取り組みも考えていて、それは孫のために残す仕事と考えています。
次世代に続くことを考えていると本当に面白いですよ。百姓っていうのは。」
今だけではなく、次世代やその次の世代まで考えていく。
10年先20年先の明るい未来のため、「日本一のとうもろこし作り」のため、島田さんは今日もトラクターを駆ってとうもろこし栽培に勤しんでいます。
島田さんの鬼もろこし商品