価格帯で選ぶ










この塩田でしか出来ない味【中前賢一】

 ajibito_nakamae01

 

nakamae309世界農業遺産「揚げ浜式製塩」

500年以上の歴史を持つ「揚げ浜式製塩」。白米千枚田などとともに「世界農業遺産」に登録されており、国の重要無形民俗文化財にも指定されている能登の伝統文化です。

 

これは江戸時代以前より続く製塩法で、汲み揚げた海水を砂浜の「塩田」に何度もまき、太陽と風の力で蒸発させます。そして塩がついた砂に海水を注ぎ、塩分濃度の高い水を作り、それを釜で炊いて水分を蒸発させて塩を作ります。

こうして時間と手間をかけて行われる天然の製塩法は、能登が世界農業遺産に選ばれた理由のひとつでもあります。

 

 

nakamae308浜士:中前賢一

「揚げ浜の製塩法は、仕事は単純やけど、本当に真の芯まで考えたらそりゃものすごい技術がある。自分の身体を使ってぇ、自分の頭で考えて、色んな工夫して、自分の身体で覚えていくんです。」

穏やかに、優しい微笑みでそう話してくれたのは、昔ながらの「揚げ浜式製塩法」で能登の海水から自然塩を生産する浜士(はまじ)・中前賢一さん。

浜士とは、揚げ浜式塩を作り上げる職人のことで、揚げ浜式の製塩法がいかに難しいかを物語っています。

 

「潮撒き10年」

揚げ浜式塩田の作業は、天候の良い4月から9月の6か月間行われ、3月から4月の間に塩田の整備をし、地盤を作るところから塩づくりは始まります。

 

nakamae307一日の作業は海水を汲むことから始まります。

中前さんが海水を汲むのは、日も昇らぬ早暁。

「まだ生物が活動していない早朝の濁りの無い海でぇ海水を汲むのが、良い塩作りの第一歩ですんで。」

我々が訪問した日も、4時前に汲み上げ作業を始めたとのこと。

 

塩田の裏にある岩場から海水を汲みあげ、塩田まで運びます。一度に運ぶ海水の量は60kgを超えます。汲んできた海水を汲んできた海水は、塩田の真ん中に置かれた「しこけ」と呼ばれる大きな桶に集められます。

「しこけ」にためた海水を、「おちょけ」という小さな桶ですくって塩田にまんべんなく撒いていきます。

中前さんが海水を撒く姿はさすが「潮撒き20年」の迫力。水が美しい弧を描いて、砂に満遍なく散ります。

 

nakamae300天候を読む

塩田に撒かれた塩を、太陽の熱と風で乾燥させます。

塩田は季節や気候によって、撒く海水の量は調節されます。

乾燥した砂を集め、「たれ船」という箱の中に入れ、さらにその上に海水をかけ、より濃度の高い塩水(カン水)を取り出します。

 

乾燥作業は、天候に大きく左右される作業のため、昔から「百日浜辺」といい、一年間のうち、百日間、塩田の作業ができれば豊作と考えられてきました。

能登の天候は変わりやすく、特に梅雨時は雨が続くと、2週間も塩づくりができず、生産量が大幅に少なることもしばしば。

「まぁ、こればっかりは天候に左右される仕事だから仕方ないね。逆に豊作の時もあるわけなんで。」

現在の製塩法であれば、晴雨昼夜構わず塩を作ることができますが、揚げ浜式製塩法はあくまでも自然任せです。

ちなみに揚げ浜式製塩は、その日に潮撒きをするかどうかは、水平線の見え方や雲の様子など、中前さんの長年の勘で天候を予測した上で判断されるのだとか。

nakamae02

 

 

 

 nakamae303味の決め手は釜焚き

こうしてできた「カン水」を二昼夜炊き、煮詰めることで塩の結晶を作ります。

塩分濃度3%の海水が、塩田作業を終えるころには15%にまでなります。

海水をそのまま煮詰めるより、こうして濃度の高い塩水を釜炊きすることにより、効率よく薪や海水を利用することができます。

 

「塩づくりに一番大変なのはねぇ、そりゃあどの作業も大変だけど、やっぱり釜で煮詰めることだね。やっぱり難しいっていうか、火加減もあるだろうし、塩水濃度の調節はしなきゃならないだろうし。

あと長時間に亘って炊きますんでねぇ、それがまあ、しんどいといえばしんどいですね。

ただ、この釜焚きが味を決めるんでぇ、"甘み"というかまろやかな塩を作るための見極めは一瞬なんで、油断はできません。」

ちなみに釜炊きで使用されるのは薪。薪の柔らかい炎が塩の釜焚きには合うんだとか。

 

nakamae3010出来上がった塩を釜から取り出し、4.5日程置いて苦汁を切れば、純白の塩が出来上がります。

6石(1080リットル)の「カン水」から、わずか約180キログラムしか取れない、超希少なお塩。

中前さんの塩は、ほんのりとした甘みとニガ味のない辛み、そして味わい深さが魅力です。

「以前、他の場所でトライしたけど、なかなか上手くいかなかった。こっちの海水を使って撒いたんだけど、その砂浜の質もあるんだろうね。この味が出ないんです。」

「水が合わない」という言葉の通り、その地にあった海水でないと、この味が出ないのだと中前さんは言います。

 

 

 

  終わりに

揚げ浜式の塩づくりはほとんどの作業は一人で行われ、浜士と呼ばれる職人の腕によって、獲れる塩の質と量は大きく変わります。そのため作業には経験と知識が必要になってきます。

より合理的な製塩方法が作り出されてきた中で、揚げ浜式塩田は誇りと愛情、そして能登の人々の海へのつながりによって500年以上の間、守られてきました。

「おかげさんで何とか一年でできる範囲内が売れてくれれば良いと思っています。ここの土地が塩に向いているからといって、手を広げても上手くいかないと思います。」

 

また中前さんはこうもおっしゃっています。

「能登半島というのは500年ほど前から塩田を抜きにした経済、産業はなかった。能登のぉ歴史は塩の歴史だと思ってるんです。

今生きている我々は、おそらく何代も前の塩づくりの恩恵でもって生活できてるってことを分かって欲しいなと思って、見学に来るお客さまに、そういう説明もしとるんです。

奥能登という素晴らしい土地に生まれて、塩の文化を継承できることは、我々浜士にとって最高の仕事だと思っています。」

 

『旨味の追求は永遠』

浜士に受け継がれるこの言葉を、中前さんはひたすら追い求めています。

 

中前さんの商品はこちら

 

ajibito_nakamae04