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江戸時代から受け継がれる門外不出の種が命【渡辺康貴】

山形県鶴岡市。江戸時代には鶴岡藩(庄内藩)の城下町として栄えた鶴岡は、東北地方最大の面積を誇り、出羽三山から流れる清涼な水が豊かな土壌を育み、農作物の栽培が盛んです。中でも鶴岡市内だけで栽培される枝豆「だだちゃ豆」は、その豊かな風味と味わいから枝豆のトップブランドとして、全国的に有名です。

 

そんな鶴岡のだだちゃ豆の中でも、テレビ番組で「キングオブ枝豆」と絶賛されただだちゃ豆を栽培するのが、與惣兵衛(よそべ):十四代目の渡部康貴さんです。

 

だだちゃ豆発祥の地で十四代

「ここ白山(しらやま)地区はだだちゃ豆発祥の土地と言われています。祖先がこの地でだだちゃ豆農家を始めたのが江戸時代と言われていて、私で十四代目になります。
だだちゃ豆はもともと米作りの傍ら、田んぼの片隅で作られていたのですが、20年ほど前にビールのテレビCMで紹介されてから一気に人気が高まり、今では鶴岡市の在来作物として認定され、山形県の人気の特産物になっています。私もだだちゃ豆がこんなに人気になるとは思っていなかったので驚きでした。」

 

米作りの傍らで育てていた、いわば副産物のようなだだちゃ豆がメディアを通じて一躍全国区に。そのブレイクの陰には、メディアの影響力もさることながら、だだちゃ豆が本当に美味しいからに他なりません。

 

 

江戸時代から受け継がれる門外不出の種が命

「だだちゃ豆は茶豆の一種で、それこそ全国で茶豆を栽培している産地はたくさんありますが、だだちゃ豆の最大の特徴が「種」です。

我が家も含め白山地区の農家は江戸時代から自分達でだだちゃ豆の種を採取し、良い種だけを選別し、血を濃くしてきました。

だだちゃ豆の種は自分たちで採取するので、基本的にどこかに出回ることが無く、先祖代々門外不出とされています。特に気を遣うのが他品種と交配をしないようにすることです。祖先がそれこそ家宝のように受け継いできた種を、私の代で台無しにしてしまうことは許されません。」

 

そんな渡部さんのだだちゃ豆ですが、不思議なことに白山地区以外で育てても、おいしくならないそうです。土地と作物の密接な関係がうかがえます。

 

枝豆栽培に適した環境

「白山地区はだだちゃ豆の育成に非常に適した環境です。土中にだだちゃ豆が育つために必要な根粒菌が繁殖しており、空気中の窒素を植物の栄養となるアミノ酸などに変えることで、だだちゃ豆が豊富な栄養を取り込むことができます。また、近くに川が流れているため、朝霧が発生することもしばしばあります。この霧がだだちゃ豆に適度な水分を与えることで、豆をさらに美味しくします。」
根粒菌を中心とした豊富な微生物を有する土壌。朝霧が立ち込める適湿な天候。江戸時代より白山地区でだだちゃ豆栽培がおこなわれていたのは、環境に起因する部分も多分にありそうです。

よりおいしいだだちゃ豆を育てるために

「うちでは着花前の成長期に堆肥を中心にした有機肥料を与えることで、しっかりと根を張った丈夫で強い茎作りを心掛けています。根や茎が太くなることで、実の登熟が良くなり、病気や災害にも強くなります。花が咲いたころに今度は適量の肥料を継続的に与えると、実が美味しくなります。

花が着くまでは身体を丈夫にさせる栽培方法。花が着いてからは美味しくするための栽培方法と、花が着く前と花が咲いた後で栽培方法を変えています。

また、あまり大きく育てないことを心掛けています。大きく育ててしまうと、葉に栄養が奪われてしまい、肝心な実に養分が行きわたらなくなります。ただ、根や茎は大きく育てます。根を大きく張ることで、土中の養分をたくさん吸収させ、太い茎を伝って、実の一粒一粒に栄養を十分に行きわたらせることで、旨みと味わいが凝縮した、濃厚なだだちゃ豆に育ちます。」

まずは根を大きくし、次に元気で太い茎を育て土台をしっかりさせた後に、豆に味を乗せていく。渡部さんは豆に寄り添い、豆の成長度合いに合わせ、栽培方法を変えていきます。

常に枝豆と会話する

「あとは『常に枝豆と会話する』事を心掛けています。毎日畑に足を運び、豆の成長の様子を観察し、天候を予測しながら、その時々の状態にあった栽培方法を実施しています。そのため毎年栽培の仕方が違います。他の生産者の方から見れば「なんでそんなに手間のかかることを」と思われるかもしれませんが、天候が悪い時も良い時も、その年のベストのだだちゃ豆をお客様にお届けしたいですからね。代々受け継がれてきた栽培技術とノウハウ、知識を使い日々「目配り」
「気配り」をしながら行っています。」

枝豆栽培は、楽をしようと思えばいくらでもできるそうで、播種後に化学肥料を一気にやれば枝豆はできるそうです。ただ手間をかければかけた分、味も良くなるそうで、それこそ「わが子を育てるのと一緒です。」と渡部さんはおっしゃいます。

 

機械には見えない選別基準

「世の中の多くの業界と同様、農業も機械化が進んでいます。豆づくりも例外ではなく、植え付けから出荷まで、あらゆる作業の機械化が可能です。そんな中でも、やはり人の手で行いたい作業があります。例えば、肥料やり。いつ、どんな肥料をどの程度やればいいのか?これは代々の言い伝えと長年の勘によるところが大きいので機械に任せることはできないと私は思っています。

それから選別。機械を使えば虫食いも見つけられて、規格外の豆はエアで弾き飛ばしてくれて大変便利だとは思います。ただ、言われたことはきちんとするけれど、言われたことしかできないのが機械です。
その点、人間は考えながら動くということができます。選別もわが家では人の手で行っています。我が家の選別作業員は9歳と6歳の娘も含め、ただ豆を選別するのではなく、『この枝豆を受け取ったお客様は喜んでくれるだろうか』『ちゃんと美味しいと言ってくれるだろうか』『私達の枝豆はお客様を幸せにできる、と自信を持って言えるだろうか』そういったことに気を付けながら、日々心を込めて仕事をしています。」

機械化だけではなくAIによる自動化により、人間は自らの頭で考える事が少なくなってきています。そんな時代に警鐘を鳴らすかのような、渡部さんの人の手による作業の根底には、従業員一人一人が「お客様の気持ちを常に考える」想いがあります。

 

 

農業を志すきっかけとなった都内の枝豆

20代の時には都会の生活にあこがれ上京し、エンジニアや営業の仕事をしていた渡部さんが山形に戻ろうと思ったきっかけが奇しくも「枝豆」だったそうです。

「東京で枝豆を食べたときに『俺が知ってる枝豆と全然ちがう!なんでこんなに味がしないの?』とショックを受けました。他の人からしたら「たかが枝豆でしょう?」と思うかもしれませんが、私にとってはかなり衝撃的でした。
実家に帰省したタイミングでだだちゃ豆を食べたとき『このだだちゃ豆は本当に美味い。我が家でこんな美味しいモノを作っていたんだ』と改めて確信し、35歳で農業にかかわるようになりました。上京した事で地元の良さ、実家のだだちゃ豆の素晴らしさを、改めて感じる事ができました。」

憧れの東京暮らしの中で出会った枝豆に、故郷の素晴らしさを再認識する。渡部さんの人生に枝豆が切っても切れない縁で結ばれているのでしょう。

 

 

終わりに

テレビ番組で「神農家が作る〝キングオブ枝豆”」と紹介されたこともあり、お客様からの注文も増え、多忙な日々を送る渡部さん。今後はだだちゃ豆の畑を広げて生産量を増やしていくかと思いきや、意外な答えが返ってきました。

「だだちゃ豆の畑をどんどん広くする事は考えていません。畑を広げれば収量は上がりますが、どうしても目の行き届かないところが出てきます。そうすると品質にブレが生じ、結果としてお客様にご満足いただけるものを出荷することが難しくなります。
また、先祖代々からの家訓である『良い物を作らないとお客様もついてこない』にも反してきます。土地や與惣兵衛の屋号、渡部の家紋など私が祖先から受け継いできたものはいろいろとありますが、この家訓こそが我が家のだだちゃ豆の根幹だと思っています。」

江戸時代から十三代にわたり継がれてきただだちゃ豆農家の大事な「家宝」は、十四代目の渡部さんにしっかりと引き継がれています。

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