極上魚沼産コシヒカリの美味しさの秘密を求めてPart2【新潟編】
2014年9月18日木曜日
極上魚沼産コシヒカリはなぜ美味しいのか?
前回は水について、魚沼の水源を求める旅に出ました。
今回は水と並んで美味しいお米を作る要素である「土」についても調べてみたいと思い、午前中に都内を出発し、一路新潟・魚沼地方へ。
魚沼地方はちょうど収穫直前の時期。
陽が差すと稲がキラキラと輝いて、まるで金色の野原のようでした!
収穫前の稲穂を眺めつつ、今回の目的地である「十日町市博物館」に到着。
「土=土壌」ということで、土壌の成分を見れば、その土が良いか悪いかを科学的に判断することはできます。
しかしながら、それでは納得がいかないのがあじたびスタッフ。
なぜ魚沼の土が肥沃なのかを、郷土史を紐解くことで解明していきたいと思いました。
そこで博物館の学芸員:阿部さんを訪ね、色々とお話しをうかがってきました。
「魚沼地方で米作りが始まったのは8~10世紀頃だと言われています。もともと東日本は寒冷な気候から米作りに向いていない土地でした。
魚沼地方も例外ではなく、8世紀頃から始まった米作りも、江戸時代までは経済基盤になるような主力産業ではありませんでした。
ところが明治時代に入って品種改良が進んだことで、東北・北陸の土地でも栽培できる品種が作り出されました。
そのため、魚沼地方でもようやく米作りが産業としておこなわれるようになります。
昭和期に入り、福井県でコシヒカリが生まれます。
これが魚沼地方に伝播したことで、魚沼地方のお米は格段に美味しくなり米作りが盛んになります。
ここにきてようやく魚沼地方の米作りが、地域の経済基盤として確立されるようになってきたのです。」
なるほど。魚沼地方の米作りは日本の歴史からみても、かなり後発だったようです。
近代に入ってから、品種改良により東日本の寒冷な気候に合うお米が作られたこと。
そのことにより、魚沼の土地が持つポテンシャルと融合して、素晴らしく美味しいお米ができたということなのですね。
ところで、今回の旅の目的である「魚沼の土はなぜ良いのか」を、阿部さんにうかがってみました。
「魚沼地方は盆地地形で、信濃川に沿ってゾウリムシのような形に盆地があります。
さらに信濃川に流れ込む支流がたくさんあって、そこが水利権の単位になり、集落ができあがっていきました。
現在は治水がしっかりされているのでそんなことはないのですが、信濃川は、かつては暴れ川と言われていて、雨が降るごとに河川がたびたび氾濫したそうです。
江戸時代の記録にも、河川の氾濫によって橋が流されてしまうので、簡易の橋しか作らなかったという記述があります。
そんな河川の氾濫が明治時代くらいまで続いていました。
河川の氾濫は水害という被害をもたらしますが、それと同時に山や森のミネラルをたっぷりと含んだ土砂も運んできてくれます。
河川沿いに作られた棚田は、河川の氾濫のたびに土砂に覆われ、結果として土の入れ替えがおこなわれていたのです。
そのため今でも河川沿いの田んぼで良質のお米が獲れるのだと思われます。」
なるほど。河川の氾濫が土砂となって、山や森の良質の土を運んできてくれる。
それが繰り返されることで、常に良質の土壌が出来上がるということだったのですね。
「エジプトはナイルの賜物」と、歴史家ヘロドトスは言いましたが、今回のお話を聞きながら、
「魚沼は信濃川の賜物」
というフレーズが頭の中に浮かんだ今回のあじたびでした。
次回は、環境や雪についても勉強したいと思います。
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