創業1776年!【徳島上板町編】
桂浜の龍馬像に別れを告げ、次なる目的地は阿波徳島。
高知自動車道と徳島自動車道を乗り継ぎ、目的地の岡田製糖所さんへ。
高速道路というものの、ほぼ全ルートが片側一車線。
しかも起伏の激しい山の中をひたすら走るため、レンタカーの小型車のエンジンが終始唸りをあげていました。
徳島県に入るとすぐに、やまびこ打線で甲子園を賑わせた池田高校のある池田インターの看板が見えてきました。周囲は深い山に囲まれ、こんな自然豊かな環境の中でさわやかイレブンが青春を過ごしたと思うと、感慨深い気持ちになりました。
と、感傷に浸っている間に岡田製糖所さんに到着。
岡田製糖所さんでは江戸時代から続く高級砂糖「和三盆糖」を製造しています。
今回訪問した岡田製糖所さんは、創業1776年!
なんとアメリカの独立宣言の年に和三盆糖作りを始めたという老舗中の老舗です。
岡田社長に店舗と製造所を案内してもらいました。
「和三盆糖は竹糖という希少なさとうきびを原料に使用した香川県や徳島県などで伝統的に生産されている砂糖の一種です。ふんわりとした甘さとさわやかな口どけが特徴の和三盆糖は竹糖でないとこの味が出ません。」
和三盆糖作りはサトウキビをしぼる「圧搾工程」以外は全て手作業なのだとか。
「父が祖父の後を継いで十年ほど、コストを下げようと、すべてを機械化したことがあるのですが、製品にどうにも納得出来ず、竹糖の圧搾機だけを残して、あとは手作りに戻したそうです。
父曰く『手のぬくもりで作るのと、機械に任せるのとでは、出来上がりがちゃう。どこがどうちゃうのか、さっぱり分からんけんど、確かにちゃう』とのことでした。」
なかでも「研ぎ」といわれる分蜜工程(粗糖に含まれる糖蜜を抜く工程)は、熟練の職人:坂東永一さんが粗糖を手板で寄せては押し広げを繰り返す和三盆の真骨頂。
その芸術的な腕前にしばし圧倒されてしまいました。
あじたびスタッフも手板をお借りして粗糖を研いでみたのですが、お餅のように見えていた粗糖はまったく粘度が無く、寄せるだけでもひと苦労。寄せて押し広げようと何回も試みましたが、まったくまとまらず…
「この研ぎ作業は熟練の技術が必要で一朝一夕でできるものではありません。うちでも坂東さんしかできません。」
製造工程を見せていただいたあとに、できたての和三盆糖をいただきましたが、フワフワの口どけと、ひんやりとした心地よい甘みが舌の上でスッと消えていきます。
研ぎの工程も見せていただいたこともあり、まさに砂糖の芸術品です。
「祖父が『機械がいかに発達するも芸術品は機械では作れん。この芸術品が大衆的にならずとも真にその価値を認めてくれる少数の人が永続してくれれば結構や。』と言っているように、私も手作りにこだわり、和三盆糖の伝統を継承していきたいと思います。」
後継者や技術の継承など、さまざまな悩みを抱える和三盆糖製造ですが、日本の伝統的な製糖技術を、是非継承していっていただきたいと思いました。
追記:
徳島から高松へ向かって車を走らせる途中で小腹が空いたので「津田の松原サービスエリア」に立ち寄り、うどんをいただきました。
サービスエリア内の店舗にもかかわらず、麺ゆで(温め直し)、つゆかけ、トッピングはすべてセルフという「うどん県」方式。サービスエリアの店舗なので、さすがにゆでたては食べられませんでしたが、いりこ出汁がきいていておいしかったです。