日本唯一のふぐ専門市場【山口:下関編】
広島の地を後にして中国自動車道・山陽道を西へひた走ること200km弱で、次の目的地である山口県下関市に到着。
下関を代表する食べ物と言えば、なんといっても「ふぐ」。その毒性によって豊臣秀吉が禁じ、その旨さによって伊藤博文が復活させ、稀代の美食家魯山人をして、「河豚のうまさというものは実に断然たるものだ」と賞賛されるほどの美味しさを持つふぐがここ下関に集まってきます。ふぐ料理をはじめて伊藤博文に提供し、その後も財界の著名人御用達となっている、ふぐ料理の名店「春帆楼」を横目に、下関の突端にある「南風泊市場(はえどまりしじょう)」に向かいます。
「ようこそいらっしゃった」と出迎えてくれたのは、南風泊市場から目と鼻の先にあるふぐ料理専門店「山賀」の山下さんです。
「下関では、ふぐのことを『ふく』と呼びます。ふぐという音から連想される不遇という言葉が嫌がられ、福を連想させてくれる音の良さが喜ばれているからなんです。ふくは全国で獲れますが、その約8割がこの下関に集められているんです。」
山下さんに南風泊市場内を案内していただきました。
「この南風泊市場は全国でも唯一ふく専門の市場です。もともと下関はふくの漁場が近くにあったのですが、全国のふくを一挙に集めたいという市場関係者が、24時間体制で入荷を受け入れ、ふく専用の受け入れ施設も充実させたこと。またふく専門の仲卸が充実しているため、適正価格での取引が行われることから、南風泊市場に全国のふくが集まるようになりました。」
「南風泊のふくのセリは『袋セリ』という独特な方法で行われます。
片腕に黒い袋をはめた競り人(売り手)に、次から次へと買い手が手を差し伸べ、黒い袋に手を差し込み、握った指の形で価格を提示するものです。袋セリだと、売り手と買い手にしか競り値がわからず、いくらでセリ落としたか他者にわからない様になっているのです。セリ値がオープンだと、不漁の場合に数少ないふぐを競り合い、いくらでもセリ落としたいと交渉が荒れ、収拾がつかなくなるため、売り手と買い手の両者にしか価格がわからないようになっています。」
なるほど。
ふぐが貴重な魚ゆえに袋セリという特殊な方法が必要になってくるのですね。
市場を一通り見学させていただいたあとに、山賀さんでふぐ料理をごちそうになることに。
ふぐ刺し、ふぐ鍋の王道のふぐ料理を前に、おなかがグーグーと鳴り、もう辛抱たまりません!
ふぐ刺しは絵皿の柄が透けて見えるほど美しく盛り付けられ、光沢のある切り口が華やいでいます。
プリッとした弾力のある身は、淡白ながら噛みしめるほどに味わい深く、爽やかな香りが後を引きます。
ふぐ鍋も取り分けていただき、まずは出汁からいただくと、ふぐのアラから取った出し汁は、慎ましくもふぐの旨みがしっかりと味わえます。身はフワッとした食感の中にもっちりとした弾力があり、温めることで刺身よりもふぐの旨みが増しています。
旨い旨いと言いながら〆の雑炊までいただき、あっという間に完食。
下関の、ふぐに関わる伝統に触れ、ひとくち食べる毎にその奥深さを噛みしめ、堪能させていただきました。
追記:
山下さんと別れた後に、少し寄り道をして関門橋の下にある 下関市「みもすそ川公園」へ。
関門海峡の真下にあるみもすそ川公園は源平壇ノ浦の合戦古戦場のすぐそばに位置するため、義経の八艘跳びの場面と錨を巻き付け自害する平知盛の銅像や二位尼の辞世の句などがあり、壇ノ浦合戦の情緒を漂わせています。
二位尼の辞世の句を読みながら「波の下にも都がございます」と、安徳帝と共に入水した最期を思い浮かべ、快晴の天気の下、諸行無常のはかなさを思い、感慨に耽りました。